ライトブログ

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ワーク・アプリケーション

アプリケーションとか書いてあるけど、パソコンの話じゃない。
でも、ちょっと関係ある。


ある程度PCを使ったことのある人なら、1度は「タスクマネージャ」を
見たことがあると思う。フリーズしたアプリを終了させるときとか、
パフォーマンスの情報を見るときに使うあれだ。
その中に、「アプリケーション」というタブがある。
実行中のアプリを表示するタブだ。
インターネットを起動していればIEとかChromeとかFirefoxとかSafariとかが
表示される。
逆に、何も起動していないアイドル状態のときは、そこには何も表示されない。


まえがきはこのくらいにしておく。
先月の13日~20日で、水戸に帰っていた。目的は溜まっている仕事だとか、
東京の家の改装をやったときに不要になったものを実家に移送することだ。
そして同時に「自分を再起動」すること、これが結構大きい目的。

私の生涯のなかで(といっても20年しかない)、この再起動は数年に1度
ぐらいで発生している。
たいてい、環境が変わったり、行き詰まったり、追いつめられたときだ。

今回は、行き詰まり感と、追いつめられた感。
閉塞感という壁が自分の目の前に大きく立ちふさがっていて、
今にも自分に倒れかかってきそうな感じ。

マリオの前にバッタンキングがいるような、そんな感じ。
もしくは、クロックタウンに月が落ちてくる最期の日のような感じ。

その原因は、まぎれもなく大学関係だ。
(といっても、大学の組織や人たちには全く問題はないのだが。)
所属しているゼミ、サークル、連合などで、数々の仕事をこなしてきた。
時にはつらすぎて寝れない時もあった。
幸いなことに、うつ病とかにはならなかったが、精神的に滅入ることは
何回かあった。

仕事も恋愛も趣味も遊びもできる限りいいものにしたいので、基本的に
妥協をすることはしたくない。
(ここでは、今回の原因でもある仕事を中心に記事を書いていく)

仕事をこなせばこなすほど、周囲の期待は上がる。
期待していただくのはとってもありがたいし、信頼されている証拠だ。
しかし、依頼される仕事の量と質は、期待が上がるのに比例していく。
処理する量が増加するから、能力の必要量も、必要な時間も増える。

このループに入ると、「結果を出して期待にこたえる」ことは良いこととされる。
自分の知らないうちに(能力の限界に近くなるうちに)、この「良いこと」を
麻薬のように吸い続けてしまう。
麻薬の効能が切れればまた仕事をこなして
いいものを生み出し、期待という麻薬を摂取する。

限界になるとどうなるか。
何が何だかよくわからなくなる。自分と仕事にどう向き合っていけばいいのか
わからなくなる。自分の人生の目的が日々増えていく仕事をこなすことに
なってしまう。対人関係も崩れる。
生活のすべてが自分の限界に達する前の順調なころと違って、
どこかぎこちなく、ゆがんで見える。

でも、それは言わない限り周りからはみえないし、期待されているのであれば
むしろそれは見せたくないものになっていく。

限界になってしまえば、自己崩壊が起きる。
人によっては自殺を選ぶし、病気になることにもつながる。

たとえるなら、
ユーザーにはみえない(注意しないとみえない)システム上のちょっとした
エラーを連発する状態が続くと、ある日突然ブルースクリーンになってしまって
ユーザーが戸惑うようなものか。
(ブログがそういうブログなんで、こういうたとえにしてます。)


今回もそんな感じになりそうな気がした。
組織と人との向き合い方と、自分の生き方に摩擦が出てきて、
崩壊しそうになった。
「そうだ、いったんすべてから離れよう」そう思った。
だから水戸に帰ってきた。
別に、料理とかの趣味をやっていればある程度は回復するんだが、
今回は重度だと自分は思っている。

そして帰ってきてから、自分は再起動状態に。
帰る前に、Amazonで「うららか予報 ~リラックマ生活11~」を買った。

基本的に、どんなもの読んでも影響を受けるタイプではないのだが、
久しぶりに本読んで涙が出てきた。
自分のことを言われているようで、グサっと心に入ってきた。


実家に帰ってきた後いろいろなことを考えたが、
ちょっと考え方を変えようと思った。
それが、表題のワーク・アプリケーションだ。
考え方としては、ワーク・ライフ・バランスとほぼ同じだ。
説明の中にWindowsシステムで取り入れられている方法が
入っているので、ワーク・アプリケーションとしている。
わざわざ別な名前を付けるほどではないが、元の名前では
説明しにくいので。

※ワーク・ライフ・バランスとは・・・(Wikipediaより)
 「仕事と生活の調和」と訳され、「やりがいや充実感を持ちながら働き、
仕事上の責任を果たすとともに、家庭などにおいても、人生の各段階に応じて
多様な生き方が選択・実現できること」となっている。


いままでのやり方は、仕事が終わるまで、自分の能力を注ぎ続けるやり方だった。
仕事量が増えれば、体という名のハードウェアと、性格という名のOSで
管理しているリソースが使われる量・使われる時間は増えていく。
これでは、自分が処理できる量以上の仕事量になることに耐えられない。

Windowsの32bit版では、1つのアプリが使用できる最大のメモリ領域量は
2GBと決まっている。すなわち、どれだけそのアプリがメモリを必要としても、
2GB以上のハードウェアリソースは与えられないということになる。
(3GBスイッチの話は入れないでおく)
ワーク・アプリケーションは、自分が決めた上限のリソース以上は
使わないことを基礎に考えている。さらに、アプリケーションであるから、
仕事が終わったらその「仕事」アプリは終了する。

さらに、重要なことが2つ。
OSはハードウェアを管理する。たとえば、CPUが過熱状態になっているときは、
OS は応答を停止し、ブルースクリーンにするか、強制的に電源を落とす。
ハードウェアの故障をできるだけ防いだり、悪化しないようにしたり、
ハードウェアによってOSが壊れないように制御することができる。

OSはソフトウェアを管理する。たとえば、複数のソフトウェアが同時に動いて
いるように見えるのは、OSがそれぞれのソフトウェアに時間を与えて処理
させているためである。プリエンプティブ・マルチタスクと呼ばれる処理方式だが、
今回は説明しない。

何が言いたいかっていうと、OS(=性格)はすべてを管理する重要なシステム
であるということだ。
このシステムがどうあるかによって、その人間の性能や状態、考え方などが変わる。

今回の考え方の変更は、自己防衛のために自分が消費するリソースの割り当てを意図的に
制限して、最大能力・時間の消費量を下げて、仕事から離れよう
ということだ。

むしろ仕事が追いつかなくなって大変になると思うかもしれないが、
仕事のやり方を変えること(自動化やIT化)、分業化で、
問題は解決すると考えている。
自動化やIT化で対応できない創造的な仕事だけになれば、
仕事から離れる時間は生まれるし、むしろインスピレーションや
イノベーションを生み出すために必要になると思う。

ちょっと前に、GoogleFoxconnが共同で、過酷な労働条件下で働いている
Foxconnの労働者に代わってロボットが労働をする、「労働者代替ロボット」
の開発に乗り出すという記事をニュースサイトで見た。
まだ詳細な内容がわからないので断言はできないが、簡単にいえば
「単純労働者はいらない」ってことだ。
コンピュータが得意な繰り返し系の仕事では、人を雇うよりもロボットに働かせる
ほうが文句は言わないし給料は払わなくていいしと企業側にとっては
最高の手段ともいえる。
派遣社員の平均年収は、200万以下が半数以上という話を聞いたことがある。
仮に200万だとして、40年間働けば生涯賃金は8,000万円。

企業が、社員1人に200万を与えてくれればいいが、それがロボットになって
しまったら、どうだろうか。
最初の投資費用が膨大になるのは目に見えているが、作ってしまえば
企業が負担するのはライセンス代とか、電気代とかだろう。もうちょっと言えば、
減価償却費ぐらい。

よくドラマとかで、「君の代わりはいくらでもいる」というセリフがあるが、
近い将来、その「君の代わり」はロボットかもしれない。
そんなSFチックでフィクションの話が、現実になる可能性もあるのだ。

まだまだ実現するには課題もあるし、人間とロボットの共存が維持する
仕組みにすればこういう問題は起きない。


自分のリソースの上限を決めることは、仕事から逃げることではない。
仕事を見つめなおして、再構成することで、自分を守ること。
自分のリソースを創造性のある仕事に使うようにしたり、上限を作ることで
余ったリソースを競争社会で勝つための武器を手に入れることに使う。

こういう方向に考え方を変化しないとやっていけないと思った。



長々といろんなことを書いたが、書いてよかった気がする。
少なくともこの1年は、抱えているものが非常に多いので大変に
なりそうだが、強く生きていこうと思う。