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勤労所得と不労所得

昨日の雑記に、書き忘れていたことを思い出した。
バイト所得と仕送り所得の話。

バイトをすれば、それだけの所得を得ることができるだろう。
ただ、その分仕送りが減ったりする可能性も捨てきれない。
そうなってしまっても困る。だからなかなか踏み出せないのかもしれない。

バイトの所得=勤労所得、仕送り=不労所得(厳密には学業があるので違うかもしれないが)
だと私は考えている。

もし同じ額もらえるなら、誰だって不労所得を望むはずだ。


バイトの所得は、バイト先での労働によって得られるものだが、元は学生なんだから、
学業に勤しむ必要性もあるはずだ。

これに対して、仕送りの所得は、学業に勤しんでいれば得られるものだ。

バイトと仕送りを比べてみよう。
バイトをすればバイト先に行くまでの交通費などがかかる場合もあるだろう。
ただ、交通費支給などのものもあるので、ここでは交通費は除外しておく。

上の図は、バイトの場合と仕送りの場合で、かかるコストを考えてみた図だ。
X1は、バイトの場合の利益を、X2は、仕送りの場合の利益を示している。
(これ以外にも様々な要因があるだろうが、私にとっては小さいものなので、省略する。)

<時間の投資・労働力の投資とは何なのか>
バイトで所得を上げるということは、給料をもらうことであるが、
私はそのもらった給料すべてが自分の利益として計上できない気がするのである。
会計的な考え方であるが、給料をもらう(=売上) のために、労働者である私は
自分が持っている時間と労働力をバイトに提供する。すなわち費用がかかっていることになる。
(費用とは、得られる収益に対応するもの(収益を上げるための犠牲)である。→費用収益対応の原則)
従って、利益はもらった給料(プロフィット)から、それに対応する時間と労働力の提供分(コスト)
を引いて求められるのである。こうなったとき、実際の利益は給料より小さくなるはずだ。
ただ、この時間と労働力のコストを、個人レベルで測定し、貨幣的価値に置き換えることは不可能
だろう。なぜならば私がバイトに、「1時間」を投資するとどれだけのコストになるのか、
私がバイトに「1労働力」を投資するとどれだけのコストになるのかは明確な変換レートでもない限り、
それを計算することはまず不可能である。尺度がない。
しかし実際、目に見えないコスト(インビジブル・コスト=Invisible Cost)として日々の生活のどこかで、
そのコストを負担しているはず
である。
仕送りの所得と比べる際には、このようなコストも含めて考える必要があると私は考える。


さて、話を元に戻そう。
X1は、バイトによる所得-時間の投資によるコスト-労働力の投資によるコスト
-学業への投資によるコストで求められる。

X2は、仕送りによる所得-学業への投資によるコストで求められる。

共通コストの学業への投資によるコストは、学生であるという共通条件に基づくものである。


さて、この2つのXを並べてみたときに、どんな場合でもX1>X2となるのか。
そうなるなら今すぐバイトをすべきだろう。ただ、私にはこれが必ずとも
そうはいえない気がする。

ここからは具体的な数値を入れてみよう。
所得額(Y)              :  50,000円
学業投資に必要な費用     :  15,000円
インビジブルコスト性向(IC)  :   0.05Y  
上の値は例だ。特に客観的根拠に基づいた数値ではないことをお詫び申し上げます。
インビジブルコスト性向とは、その所得を稼ぐために必要な費用の所得に対する割合であり、
この値は所得の増加(労働量の増加)に従って増えていく。
マクロ経済学でいう、限界消費性向のようなものだ。)

X1(バイトの場合の利益)を求めてみよう。
   バイト所得        50,000
   IC額       -    2,500
   学業費用    -    15,000
   利益額        32,500

X2(仕送りの場合の利益)を求めてみよう。
   仕送り所得     50,000
   学業費用    -   15,000
   利益額       35,000

X1とX2を比べると、仕送りの場合のほうが高利益が見込める結果となった。
ここだけをみると、バイトしないで仕送りを受け取っていたほうが効率がいいことになる。
ただ、もうひとつ要件があるはずだ。それは「量」の問題である。

仕送りは、不労所得であるから、まず働くという概念が存在しないが、労働量を考えると、
0となるだろう。不労所得であるのだから、労働量が増加しても、仕送りは上がることはない。
バイトは、勤労所得であるから、働けば働くほど、労働量の増加に従って、所得も上がるだろう。
ここがポイントである。
上の計算式では、所得がどちらも同じ場合での計算だ。ただ、ここに労働量の概念を入れると
また変わってくる。

ここで、このグラフを見てほしい 。
このグラフは、上の数値例をもとに、労働量の変化と利益額の変化を表したものだ。

赤い線は仕送りの利益、青い線はバイトの利益を示している。

このグラフをみると、バイトは労働量が伸びれば損益が改善していくが、
仕送りは労働量の影響を受けないことが分かる。
グラフ中に、3つの吹き出しをつくった。
青の吹き出しは、労働量0のときを示している。
 仕送りは、不労所得だから、35,000の利益だ。
 バイトは、このとき何もしてないから、-15,000の損失になる。
オレンジの吹き出しは、バイトの損益分岐点を示している。
 仕送りは、労働量に応じて変動しないので、35,000の利益で変動なし。
 バイトは、この労働量に到達して初めて損益0の点にたどり着いた。
緑の吹き出しは、バイトと仕送りの利益が合致した点を示している。
 
仕送りは、労働量に応じて変動しないので、35,000の利益で変動なし。
 バイトは、この労働量に到達したとき、仕送りと同じ利益を上げることができた。
ここから先の労働量に行くと、バイトによる利益のほうが大きくなっていくことになる。

つまり、労働量が増加していくに従って、
バイト利益<仕送り利益 → バイト利益=仕送り利益 → バイト利益>仕送り利益
という変化をしていくのである。
利益最大化のためには、バイト利益が仕送り利益を超えるような労働量で働かないとならない。
下手をすると、仕送りで得る不労所得利益のほうが大きくなり、バイトで得る勤労所得
をすることが損することになるのだ。
もちろん、人によってこの値は変動するはずだ。インビジブル・コストは貨幣的価値に置き換える
ことが難しい。ただ、だからこそ考える必要があると私は思う。




ここまでよく都合のいいバイトをしないための言い訳を並べてこれたと自分でも思っている。
ただ、効率を考えずに行動して、余計な損失を生みだすことは避けるべきだ。
(その損失が誰かの利益になるのかもしれないが)
これらを踏まえて、バイトを考えることが必要なのかもしれない。


あとがき
「バイトをして自分で金を稼いで親の負担を楽にしてやりなさい。」という意見をたまに聞く。
それはその通りだ。親に世話をかけて仕送りや学費をもらっているんだから、その負担を軽減する
措置を講じることは必要かもしれない。これは経済的な目線で考えた場合だろう。
ただ一方で、「大学生はバイトなんかしないで学業に励みなさい。バイトするために
学費を出しているんじゃない。」という意見も聞く。それもあるだろう。何のために学費を
払っているんだかわからないような人はたまに見かける。本当に大学生なのか、
半分フリーター化している。これは学業という学生の本分的な目線で考えた場合だろう。

どちらが正解かは、各家庭の事情によるだろう。ただ、近年の学力低下を鑑みれば、
後者のほうがいい。大学生の学力低下は、学校の量が多すぎて質が下がっている
という要因もあるが、上記のような学業以外の労働のウエイトが大きすぎる人が
いることも要因なのではないか。


何にしても、一つの目線から考えるとろくでもないことが起きる。
違う目線から見て、総合的に判断することを、迅速に行うことが必要だと思った。
さて、勉強するか。