ライトブログ

どれかキーを押すと,続行します.

「まね」を考える 第1部

先日、私がよく見るお昼の番組で、モノマネ芸人が紹介されていた。
そこそこ似ていて、「うまいなぁ」と心の中で感心していた。
昼ご飯を食べ終わってから、「人のまね」をすることについて考えていた。

私は、人のまねをするのも、人にまねされるのも嫌いだ。出来る限りまねしたく
ない。ただ、この世の中で、人のまねをしないで自己流で進んでいくことは不可能
であろう。なぜならば、人間は一人だけで生きていくことは不可能なのだから、
自分の周りと共存していかなければならない。そこには、「普通」や「常識」という
ような目に見えない文章化されていないルール
がある。それに沿っていかなければ
ならない。ある意味“呪縛”だ。だから、この普通や常識は程度の差はあれ
人と同じようなものになっていくだろう。それだけではない。私たちの行動のすべては、
何かのまねから始まる
のだ。小学校の漢字の練習にしても、会社のビジネスにしても、
なにかしらの原本がある。永遠に、100%自己流で何かをすることはできない。

しかしながら、私たち人間は生産されたロボットではないのだから、普通や常識、
まねに上乗せされる形で、それぞれの「個性」や「感情」を持っている。
これがあるからこそ、同じことをやらせても違う結果になるし、議論においては
賛成・反対が出てくるのだと私は思う。


さて、まえがきが長くなったが、今回は「まね」について考えてみようと思う。

ここからは、図を使っていくが、図中の緑の線で囲まれたところが、現在説明
している点だということを注意してもらいたい。

まず、定義付けとして「まね」とは何なのかを考えてみる。

辞書でまねを引いてみると、「真似」 まねること。模倣。しぐさ。行為。
語源は2つあるらしい。1つは、「真に似せる(真実に似せる)」というものから来たもの、2つ目は「誠に習う(実に習う)」というものだ。どちらにせよ、あるものがあってそれと同じようにするという意味には変わりがないようだ。
ただ最近は、「まね」とは言わず、「パクる」と言う人のほうが多いだろう。
この文章では、「まね」と「パクる」は同じ意味でとらえてほしい。



次に、1つ目の論点に入ろう。まねを一元的に見るとき、それは良いのか、
悪いのかということだ。



私はまねをすることは悪いと思っている。
理由をまねする側、まねされる側の2つの目線から見てみる。

1.まねする側の場合
私の主観だが、まねする理由は、①「あいつと同じにしておけばいい」
②「あいつだけがうまくいくのは納得いかない」というようなものが挙げられる
と思う。

①の理由は、ある物事に卓越した能力を持つ人に、自分も歩調を合わせれば
うまくやっていける
ということが根底にあると思う。さらに、自分の能力が相手より
劣る場合、敵に回らないで歩調を合わせていたほうが自分のためになるはずだ。

②の理由は、一言でいえば妬みだ。具体的な例を挙げれば、同期の昇進のような
ものだろう。もしくは、後輩が上司になるなど。これは確かに精神的にきついものがある。
そして、「あいつと同じようになってやる」というような思考が働くと、まねをする
のではないだろうか?



2.まねをされる側の場合
「あなたは、人からまねをされた場合に、どう思いますか?」
こういう質問をされたときに、①良いと思うか、②嫌と思うか。さてどちらだろう。

①良いという場合
これは、「自分が行ったことがほかの人から見ても良いことだったと証明された
と捉える事が出来る。さらに、「自分と同じ趣味をもっている」ということにもつながる。
心理学においては、「類似性の法則」というものがあるらしい。人と似たものを
好きになることだ。
このとき、まねされた側は喜ばしいような気持ちになるだろう。

②悪いという場合
例えば、自分が努力をして手に入れたものを、人がまねをして同じようにされて
しまったら、自分の今までのこの努力は何だったんだ。
というような気持ちになるだろう。
「あいつにしかできない」と言われていたことが、いつの間にかにまねをされて
「別な奴もできる」という状態になっていたとき、最初にやっていた人は、
やり場のない怒りを持つことになるだろう。


私の場合、1.①は、「人と同じで良いとあまり思わない」し、味方であろうが敵
であろうが議論はすべきだ
と思っている。1.②は、確かに妬ましいが、確執や賄賂・差別
がない限りそれは自分が相手に対して劣っているという証拠なのだから、
真摯に受け止めなければならない
ことだ。それを転嫁してはいけないと思う。

2.は、①と②の構成比がどのくらいであるのかによって変わっていくだろう。
私の場合、ほぼ同等だと思うが、少しばかり、②が大きいのかもしれない。
これはそれぞれの個人の人生経験によって変わってくるので、考えていただければと思う。
1. 2.の両方から見て、私はまねをすることは悪いと思っている。


次は、違う視点で見ることにしてみよう。