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「まね」を考える 第2部

さて、ここからは話の規模を引き上げて、企業レベルでのまねについて
考えてみよう。

当たり前だが、企業がほかの企業の技術やノウハウを無断でまねすることは
著作権や特許の法律上の観点から見て、犯罪だ。例をあげなくても皆さんも
すぐに思いつくと思うが、中国の企業のパクリなどがそれに当たる。
中国ではこれを、「
文化」と言うらしい。
じゃあなぜまねをするのだろうか。簡単にいえば、金がもったいないからである。

経営学的な話になるが、例えば、ある企業が新しい業種に進出しようとするとき
に、
1からすべてやるよりは、優良な企業をM&Aによって買収してしまうほうが、
コストがかからない
ことがある。無駄な金を使わないようにするのは、企業として
至極当然
だろう。
また、これはまねされる側がまねしようとする側に吸収されてしまうので、
そもそもまねがどうだとか、そんな議論は存在しない。

これに対して、中国のパクリの場合は、
M&Aなんていうものはない。まねをすれば、
開発コストがかからずに済む。すると、より低コストでできて、なおかつ高く売れる。
高く売れて安いコストで済むということは、それだけ利潤が大きくなるはずだ。
そのようなとても良い「果実」が目の前に落ちていたら、誰だって手に取りたくなるだろう。
ただ、それが「禁断の果実」だということに気づくかどうか、ここが問題なのだ。

このまねという考え方は、どの時代にもあっただろう。ただ、時代がすすむにつれ、
個人や企業の持つ「権利」が物を言う時代になり、現在では「利権社会」と
呼ばれるようにまでになった。金だけでなく権利も、持つ者、持たざる者で
大きな差が生まれる
ようになっている。こういう世の中で、人のものを無断で
まねをするというのは、非常にリスクが大きいのではないか。

今のところ、中国では知的財産権などの概念があまり浸透していないことなどから、
取り締まりが十分に行われていない状態が続いている。しかし、いつまでこのようなことが
できるだろうか。
勿論、中国にもこのような権利などを理解し、適正に経営をしている企業も
多数あることを断わっておきたい。





ここからはもっと別な視点で見ることにする。

1.人を見る
皆さんは学校の先生などに、「人の良いところをまねしなさい」と言われたことは
ないだろうか?私も言われたことがある。また、ことわざにも、「人のふり見て我が
ふり直せ
」とあるが、どちらにしても、人のまねをすることを容認している
考えられる。

2.人のまねをする人
前にも、まねをする側の目線で文章を書いているが、さらに別な視点がある。
それは、まねをする人は、まねされる人と比較して、自己が確立していないこと
である。「何を以って自己が確立」するのかという議論は、人によっていろいろな
観点があるので、一概には言えないが、ここでは、まねをするかしないかだけで
見ることにする。
そうすると、まねをする側は、まねをされる側に対して依存することになる。
依存している状態では、いつまでたってもまねされる側を超えることができない。
そうやってまねを繰り返しているうちは、依存から抜け出せないのではないのか
と私は思う。

3.信頼の証
この間、友達と話していたときのことなのだが、まねは信頼の証なのでは?
という疑問が出てきた。人のまねするということは、そのまねをされる人に対する
信頼や尊敬があるからなのではないか
?即ち「信頼されている証」なのでは
ないか?と思うようにもなった。
中国が日本の製品をまねするのも、「日本の製品に絶対的な信頼があるから」
なのではないか。まねは、そもそも法律的に問題があり、看過できないのは事実
だが、そのまねの裏には、「信頼」があることも忘れてはならないだろう。



次は、2つ目の論点について話そうと思う。